技術は努力の上に他人が認める物。実感してきました。鳥肌が立つ程の最高峰だったのです。

 

 

 ここの所、お祝事があり忙しかった中、最高峰とは何故、人の心を動かすのか!と 

 云う事を自分が心動いてみて***** 

    

  これだ!!!************と実感、今迄守ってきた信念はは間違いなかった。

 

              

 

 

オ-ケストラの最高峰レベルの一つ、ルツエルン管弦楽団、指揮者リツカルド・シャイニ-のコンサ-トにある方が連れて行ってくださいました。高いレベルには、必ずマナ-がある。

 

       オ-ケストラや技術、芸術、を他の人に公開するには、自由がありました。

 

   

最高と言われる技術や芸術、公開には必ず、自由が有ります。その自由の中に、責任、とマナ-ありました。優れたものには必ずマナ-があり、それだけの物を公開する責任とマナ-は半端ではなかったのです。

 

 

       だから皆さんから、凄い!!****************** と、言われるのです。

 

 

 

       凄い、と言われるには自分のピ-ア-ル等何も必要が無い事も実感。 

 

            其の分野で、見る目の有る方々が多い事です。

 

 

          狭い器の中では責任とマナ-が欠けている方々の多い事。 

 

  自由とは!!*****************大人としてのマナ-と責任が必ず必要である。これはすべ  

          てに通じる事で現代社会はこの意味をはき違えているひとが多い事です。

 

 

 

 

    奏者たちは過分な自己表現も無く、表現の場が世界を回るコンサ-ト。指揮者は演奏者 

    をたたえ、その曲でのメイン楽器奏者をたたえ、たたえられた奏者が自由の中で責任を  

    果たし、認められた時の笑顔が報われたと云う事、その物でした。

 

 

この自由のマナ-。プロとはこういう事です。マナ-の無い自由は身勝手と同じ事。

 

 

  ですからものを語るにはコ-ヒ-カップをぐるりと見る事(長年の経験)が必要なのです。 

 

  コ-ヒ-カップ長年ぐるりと見た者は、指揮者の様に自分を主張する必要が無い事です。

 

 

本物の補正をお伝えするために頑張っています。